(~12/2)千泰山写真展Ⅴ「我が子我が妻Ⅰ歳おめでとう展」

この11月、息子が1歳になった。そして、妻も母として1歳になった。
そんな妻(と、子)に、サプライズをしようと写真とメッセージを飾り、お祝いをした。

今回のサプライズをするために、1年間の写真を見ながら、写真を通して妻に伝えたい言葉を、ずっと考えていた。
「1歳のお誕生日おめでとう」という題目ではあったが、実際に感じたのは、「1年間ありがとう」だった。子どもが産まれてからもたくさんの幸せなことがあったが、もちろん、大変なこともたくさんあった。それでも、今、総じて幸せだと感じられるのは妻が、楽しいことはもちろん大変なことにもきちんと向き合って毎日の営みを大切にしてくれたこと他ならない。
僕も、今回展示した写真のように、テキストのように、一枚一枚、一言一言を大切に紡ぎ、そして想いを伝えながら、大切な人たちとの毎日を積み重ねていきたいと思った展示だった。

もともと今回のサプライズ展示は義理の実家となる酒屋をお借りした関係で、「せっかくだからより多くの人に見てもらいたい」と考えていたが、無事妻からの許可もおりましたので、改めて告知をさせていただきます。

お知らせ

千泰山写真展(通称千展)Ⅴ「我が子我が妻1歳おめでとう展」が下記の日程で開催されます。
ぜひ、足をお運びください。

千泰山写真展Ⅴ 「我が子我が妻1歳おめでとう展」

■展示期間 2017年12月2日(土)まで(月曜日は会場が店休日となります。)
■会場 地酒処叶屋(〒399-4511長野県上伊那郡南箕輪村3453-1)
■時間 9:00am~7:00pm
■アクセスマップ

引越しのご挨拶

子が生まれたのをきっかけにこの度戸建てに引越しをしました。

引越しとはいっても200mほどなので、業者は使わずに友人の力を借りて手運びでの移動となった。

縁あって知人の紹介で引越したこの物件、昔ながらの日本家屋で築50年とも80年とも言われており、畳部屋はもちろん、土間や漬物小屋、お蚕部屋まである上伊那地域伝統様式の家だ。今日流行っている古民家“風”ではなくモノホンの古民家であり、(とてといい意味で)中々年季が入っている。

なにか不備があっても修理は自分でやる代わりに、自己責任でどのように扱ってくれても構わないとのことだったので、引っ越して以来、余裕のある時にチマチマと手を加えている。

その中でも、一番最初に取り組んだのは土間の改修だ。すでに完成したので今回はそれについて書こう。

当初は経年劣化により土間の三和土(たたき)が崩れ、土が丸出しであり歩いた分だけ靴が汚れる仕様になっていた。


土間は約12㎡、デカイ

長年踏み固められてきた三和土も、際の方は完全に崩れている。


三和土。小石なのか土なのかわからないくらいに固まっている。

最初は、本当は昔ながらの方法で三和土を作りたかったのだが、相当な石灰やら苦汁やらを準備しなきゃだし、それを作れる職人も地域にはほとんどいないとのことだったので早々に諦めた。(余談であるが、三和土の主な材料となる苦汁(海水)や石灰(貝殻)は沿岸部の資源を使ってできるものであり、海のない長野県で本当にこの方法でやってたのかは不明だ )

次に、コンクリやモルタルでクールに仕上げようと思ったのだが、その場合はバッキバキに固まった崩れかけた三和土(固すぎてもはや石)を掘り起こし、砕石を敷き、手作業でひたすらコンクリを埋めなければならないらしい。ヘルニア持ちの俺がすると再手術間違いなしなのは明らかだったので泣く泣く諦めた。(土間を玄関兼書斎にしたかっただけに本当に残念)

三和土もだめ、コンクリもだめとなった今回、園芸用品の固まる土を使用して土間を作った。
固まる土。平米単価1500円位。最寄りのコメリで購入。

固まる土を敷いて水をかけるだけというスーパー過ぎるお手軽さが売りの商品だ。消防の先輩と後輩の力を借りて半日かけて作った。水平取りを目視で行い、使った道具はコテとジョウロだけ、職人もびっくりの感性だよりの土間作りであったが、無事に完成した。
まずは大まかにに撒いてコテで均す。


ジョウロをかけるだけで固まり始める。最初に薄く撒いて再度均し、最後に思いっきり撒いた。

完成。奥から手前にかけて作業。徐々に慣れてきたのか手前のほうが綺麗。


完成図その2 俺は少しも作業していないのにさも自分でやったかの様に話すあたり、さすが自分である。

こうして完成した、三和土モドキ(でも成分的にはほぼいっしょのはずだ)。自分で言うのも何だが、中々乙なものである。
作って一ヶ月ほど経つが、ところどころヒビが出始めた。ロクに下地作りもしていなかったのでそんなものだろう。一夏、一冬越して、地面が収縮と膨張をした結果を見てからまた次の手を考えたいところだ。次は縁側の廊下とコンパネむき出しの壁をなんとかしたいがいかんせん金がないのでいい方法を考えなければならない。

と、こんな感じで新しい家でも家族みんなでマイペースに過ごしています。お近くにお寄りの際はぜひいらしてください。

当たり前の景色を、大切な景色に

今、私は農業関係の部署に所属しているが、業務の一つに南箕輪村のブランドコシヒカリ「風の村米だより」による農業振興を目的にした稲作体験(その名もまっくん田んぼ体験隊。なんてストレートな名前か。)の運営事務局がある。

数ある農業体験の多くは、田植えや稲刈りの当日のみを楽しんでもらうことに留まるが、「農業や農村の魅力はむしろ体験以外の時間にあるんじゃなかろうか」と考えた農業体験スタッフは、
今年から、体験当日の準備・運営だけでなく、その過程まで発信している。(詳しくは、公式サイトのブログ記事をご覧いただきたい。南箕輪村の魅力とウィットとエネルギーに富んだ記事があるはずだ。)

その取材では、苗づくりや田んぼづくりといった農作業の下準備や、販促イベントの様子を取り上げている。活動の甲斐があってか、都市部からの参加者増や都市部スーパーでの販売が決定するなど、少しずつではあるが、大きな流れを生みつつある(はずである)。
米は、多くの地域において基幹作物であり、色々な意味で差別化・ブランド化を図ることが難しいものだが、焦らずに着実に進んでいけばいいなと思っている。

さて、近況報告はこれまでに、本題に入ろう。
私は南箕輪村で生まれて28年、地元に就職し、農業関係の部署に配属されて4年目になる。幼き頃より駆け巡ったこの村への魅力は誰よりも知っていると自負していたが、先述した農業体験パワーアップのための取材を通して、まだまだ、知らないことでいっぱいであった(自分で思っていたよりも8%くらいしか知らなかった)。

仕事を、農業を切り口とした南箕輪村の魅力を再認識したが、
中でも、特に強く実感したのが、田園風景や農業者の日々の営みの美しさである。

写真は、今までは“当たり前”の風景だったが、仕事を通して、
この美しい風景が、農業者による日々の営みの積み重ねによって生まれた、“大切な”風景であること、
この、“当たり前”の美しい景色が、南箕輪村の魅力と文化そのものであることを実感した。

南箕輪村は、地方では珍しく、人口が増加する自治体であり、長野県においても人口増加数・率ともに一位を誇る村である。一方で、農業者は減少と高齢化が進むとともに、移住者の多くが非農家であり、南箕輪村にとって、農業は前ほど日常的なものではなくなっている。
もちろん、それ自体が悪いわけではない。住民や産業の多様化は柔軟性のある集落を生み出すからだ。
ただ一つ、心配なことは、「村の風景は美しい」と感じる人全員が、必ずしもその背景を知っているとは限らない点である。(その最たる例がかつての私だが…)

「地方の農業振興」は、都市一極集中化の進む今日に求められるテーマの一つであり、全国で直売所やアンテナショップ、地域ブランド商品の乱立していることからも明らかだ。
しかし、「農業振興(農業を守る)」とは、必ずしも農産物売上を伸ばしたり、農業者を増やし・守ることに留まらないものだと思う。
むしろこれからは、農家だけでなく、非農家とも、地域農業の魅力や役割の共有を並行して進めていかなければならない。

そして、私のライフワークである写真も、家族や友人のポートレートスナップばかりではなく、たまには外に出て、村の田園風景を残していければと思う。

当たり前の風景が、大切な風景となる、そんな写真を。

ドメイン、取りました

ドメインを取って早3年、遂にサイトを立ち上げました。

ドメインを取って3年、それはつまり、就職して3年であり、前ブログの最終更新から3年でもあります。そして今日無事28歳になりました。

この3年の内に、地元南箕輪村に就職、恋愛、結婚、出産を迎えていました。行き当たりばったりの人生を進んできた自分がきちんとした社会人になれるのだろうか、そんな不安を噛みしめる間もすっ飛ばし、父になっていたことに未だに驚きを隠せません。

この3年間で感じたこと、書き残したいことはたくさんあるのですが、今回はサイトを立ち上げた理由について簡単に書きたいと思います。

僕が写真を本格的に始めたのは、高校生の時に出会った、親友IPPEIの勧めであり(更に言えば独自ドメインを取ることを勧めたのも彼である。)、気がつけば10年以上続けているのですが、この写真との出会いは僕の人生を劇的に豊かにしてくれました。それはもちろん、自分の軌跡や思い出を残すという意味合いもあるのですが、私にとっては、自分と大切な人をつないでくれるツールとなってくれたことが一番の理由です。

僕が撮った写真を見て喜んでくれること、会話ではうまく伝えられないことを写真が説明してくれること、撮影に慣れた友人がカメラを持つ僕を見ると自然にピースをしてくれること、

自分は本来、実にシャイな人間なのだけれど、写真を撮っていなければとても知り合えなかっだろう人たちと出会うことができました。

そして今、社会人となり、父となり、お世話になった人たちに少しずつお返しができることはないだろうかと考えたとき、浮かび上がったのはやはり写真であり、そして、最終的なアウトプットとして生まれたのがこのサイトです。

本サイトはブログとフォトだけのごく簡単な構成となっています。写メールやSNSが普及され尽くした今となっては、写真をコミュニケーションツールとして使うことは当たり前のことになってしまいましたが、そんな時代だからこそ、大切な思い出を写真に残すだけでなく、写真を通じて知り合えた、僕の大切な人たちに残せるなにかになればと考えています。

縁あって帰ってきた南箕輪村、これまで出会った大切な人たち、そして、家族。きっと、学生の頃思い描いた自分の未来の姿とは異なるだろうけれど、だからこそ、想像もつかないような楽しい毎日を過ごしていきたいと思います。

最初の記事なのでまじめに書いてみました。次回からもっとくだらないことを書きます。